エス

2024年1月19日金よりアップリンク吉祥寺にて公開
Twitter
フェイスブック
インスタグラム
NEWS
新着情報一覧
INTRODUCTION
脚本・監督の太田真博が、自身の逮捕から着想した物語『エス』。
太田は2011年に不正アクセス禁止違反容疑などで逮捕された。演劇的手法を大胆に取り入れた独特の会話劇を撮る新進気鋭の監督として注目を集めていた太田は、その前年に国際的な映画祭でグランプリを受賞しており、まさにこれからメジャーに進出して活躍する矢先のことだった。
映画『エス』のタイトルロール・染田も新鋭の若手として注目されていながら、自らが犯した罪により、映画監督としての未来、そしてそれまで築いてきた人間関係の多くを失う。ついには、苦楽を共にしてきたはずの盟友までもが染田に言い放つ。「これからは、ずっと笑わないで生きていけばいい」
映画監督“S”こと染田は、果たして、二度と笑わずに生き続けるべきなのか。それとも      
STORY
若手映画監督・染田真一が逮捕された。
染田の大学時代の演劇仲間たちは、嘆願書を書く目的で久しぶりの再会を果たす。
染田の新作に主役として出演するはずだった、崖っぷち俳優の高野(青野竜平)。自称“染田との絆が最も深い”先輩、鈴村(後藤龍馬)。そして染田への想いをこじらせ散らかした挙句、別の男性と結婚したばかりの千穂(松下倖子)。
染田の力になってやりたい。想いはひとつ、のはずだった      
CAST
松下倖子
青野竜平
後藤龍馬
安部康二郎
向有美
はしもとめい
大網亜矢乃
辻川幸代
坂口辰平
淡路優花
石神リョウ
河相我聞
STAFF
脚本・監督
太田真博
1980年東京都出身。小劇場を中心に役者として活動後、2006年より自主映画制作を開始。
2007年からはTVCMディレクターとしても活動。2009年、『笑え』(主演・滝藤賢一)を名古屋・大阪で公開。2010年には『LADY GO』が各地映画祭に入選し、複数のグランプリを獲得。2011年、不正アクセス禁止違反容疑などで逮捕され、30日余りを留置場で過ごす。2016年、自らの犯罪をモチーフとした作品『園田という種目』(主演・松下倖子)でSKIPシティ国際Dシネマ映画祭長編コンペティション部門ノミネート、福井映画祭長編部門グランプリ受賞。
プロデューサー:上原拓治 撮影監督:芳賀俊 録音:柳田耕佑
助監督:山田元生 特機:沼田真隆 撮影助手:中川裕太
監督助手:玉置正義 車輌:堀田孝 スチール:ViVi小春、浦川良将
カラリスト:五十嵐一人 音楽:窪田健策 劇中台本:大野敏哉
宣伝美術:横須賀拓 エンディングテーマ:蝦夷メキシカンズ 宣伝:Cinemago 制作プロダクション:株式会社上原商店
COMMENT
応援コメント
(順不同・敬称略)
まず言えること。
一筋縄では説明できない作品だ。
もう少し具体的に書けば、台詞がプロットから解放されている。
もちろんこれは、映画的作法としては大きな違和感をもたらす。
ところがその違和感すら、きっと太田監督は計算している。
氾濫する言葉と(少しだけ)ずれた映像の融合が醸し出すリアリティ。
それをあなたは目撃する。
森達也(映画監督・作家)
不自然なほど明るい音楽、吹き出してしまうような会話劇。
なのになぜかずっと、怖いくらいの覚悟を感じる。
この作品は、何よりも監督自身のためにある。
一人の人間が事実を受け止め、それでも生きていくために、必要なものだったんだろう。
上坂あゆ美(歌人/エッセイスト)
もういい加減こういうのじゃない映画を撮ったんだろうと思って、でもそれがべらぼうに面白かったら、こいつ全然反省してねーなとか思っちゃうのかな、とか思いながら観たら、やっぱりこういうのか! と、その瞬間から私は、登場人物の一人になった。
1つの出来事を何年も見つめ続けた奴にしか描けないと思う。登場人物は紛れもなくそこに居て、作劇を忘れる。嘘がない。誠実だ。・・・でもそれも、本当に? と疑わしさを漂わすあたりがまた「ちょっと気持ち悪い」エスの作品である。
中村義洋(映画監督)
太田真博は人間を好きすぎる。
彼の映画はいつも問いかけてくる。あなたにとって人間とはなんなのか。あなたは人間と何を話し、何を分かち合おうとしているのか。
この「エス」もそうだ。彼の作品独特の、ふざけ合う会話が問いかけてくる。あなたは誰の友達で、誰の他人なのか。考えているうちに映画は終わる。
あんなに難しい問いだったのに、あの独特な会話の中に入ってもう一度考えたいと思っている自分に気づく。
大野敏哉(脚本家)
友人とのスタンスを見失った登場人物たちが、自分の気持ちを探して喋り続ける。
ムダ話の語彙力高めなのに、その力を本題では発揮できないという皮肉に笑い、空回りし続けた先に生まれた熱風に、巻き込まれて泣いてしまった。
高橋泉(脚本家)
『エス』に寄せて。
2018年、私はとんでもない映画に出会ってしまった。私の主催するシネマハウス大塚で開催された「インディーズ映画祭」。
そこで上映された太田真博監督の『園田という種目』である。
突然そこからいなくなった男“園田”。残された者たちの園田をめぐる果てしない会話。
果たして園田とは何者か。饒舌の果てに見えてくるもの。私たちは他人の何を知っているのか。何を知らないのか。私たちは私たちの何を知っているのか。
飛び交う言葉にゲラゲラ笑いながらも、背筋がぞっとするような体験。
まさに笑劇的な作品だった。
その後太田作品をことごとく観ることになり、私は太田監督がこだわる「不在をめぐる冒険」にたどり着いた。そこにいない人物をめぐって、残された人間たちが、想像や思い込みや、果ては妄想も交えて語り合う。それは会話のバトルだけでなく、役者の演技バトルでもある。まるで、ロバート・アルトマンの群像劇を見ているようなスリリングな面白さ。
そしてそこに流れる哀しみもまた。人はつながりを求め会っているのに傷つけあう厄介な存在。時にブニュエルのように残酷に、時にウディ・アレンのように身もふたもなく、太田ワールドは私たちを翻弄する。
『園田という種目』のバージョンアップともいうべき本作品。「不在を埋める何か」を発見できるかもしれない。
後藤和夫(シネマハウス大塚支配人・映像作家)
膨大な台詞量に圧倒されました。
犯罪を犯してしまった男が所属していた劇団時代の仲間たちの群像劇。仲間たちが、その男を軸に、くりひろげる一見、意味のないような無駄話も、彼らの過ごしてきた空気、時間が垣間見え、映画を支えてる。
人の弱さ、あやうさ、立場、後悔の念、意思、それぞれの感情や行動が、リアルにせまってきて、自分は、この中の誰かかもしれない。そう自問自答した。
友人が捕まったとき、果たして自分は、、、
映画冒頭からぐいぐいと迫ってきて、気付けばエンドロールが。。。没入しました。
前田和紀(プロデューサー)
怖い監督です。そして変態。
役者の内面と、自分自身をガン見しながら、笑いながら、笑っていない。
あいつって私のこと本当はどう思ってんだろ、皆なんて言ってんだろ。知りたい、でも怖い、いやだ掘らないでくれ。
不在の人間を語る、見事な台詞達と厳しい演技演出による群像劇。
ど天才です。近づきたくない。
けど太田さんという監督を知った時、私は天を仰いで興奮しました。世間に知られてないのが悔しくもなった。
塚田万理奈(映画監督)
太田監督の持ち味は、すべての役者の機微を的確に撮る事で、まるでその場にいるような臨場感を映画に宿すところにある。
それぞれの本音が伝わるようなこの感覚は何だろうか。
自ら招いた過ちの顛末や周りの人たちと向き合い、過ごした日々がこの映画には映されているのだろう。
前に進むためには撮らなくてはいけない映画なのだと。
太田監督にしか描けない境地を是非見てほしい。
有元真一(福井映画祭実行委員会 事務局長)
『太田式口語体演技』に魅せられた。
類型的な演技を拒否し、
かと言ってボソボソ声のナチュラリズムに陥らず、
心理的な“間”にも安易に寄りかからず、
絶え間ないおしゃべりが続いていく。
“間”の代わりに、
「え?なに?」という最小単位の言葉が速射砲のように多用される。
キャスト全員に、
その太田式口語体とも言うべきメソッドが共有されている。
その徹底ぶりは驚異的だ。
決して強要されたわけじゃないだろう。
だってその証拠に、
俳優たちの顔が皆、
眩しいくらいに生き生きしてるじゃないか!
矢柴俊博(俳優)
今後の私の人生で、忘れる自信がないシーンがありました。
心熱く涙目になりながら、止められない吹き出し笑いはちょっと経験がありません。
ちょっと、ございません。
廣末哲万(演者)
ほんの一秒一コマの人間の表情、感情、言葉が目まぐるしく突き刺さる。
追いつけない...みんななに考えてるの?怖い...
それは現代社会を生きる私の心のスピードだと気づかされる。
絆、疑い、勘違い、可笑しさ、面倒くささ、愛...人間関係の多様な面を見つめ見つめ人間の力を信じ続けてる人じゃないと撮れない映画だと思います。
「エス」と、“エス”を巡り生きる俳優の皆さんにぎゅうっと背中を押していただきました。太田監督、今度どんな演出されているのか教えてください。ラストシーンのあそこたまらなく好きです!
村田唯(俳優・監督)
日常が演劇なのか?演劇で日常が構成されているのか?
深刻な現実は繰り返す人との関わり合いによって喜劇にも昇華される。
この奇跡的な無駄話の連続はやがて、これが優れた映画であるという確信を見る人に与える事になる。
Sを信じるか?それは映画を信じる事と同義である!
万城目純(映像作家/身体表現/アーチスト)
太田真博監督《エス》に寄せて
普通の人間が、「異物」となったある男を巡って、ごく当たり前の反応を繰り広げる。
そんな、何のドラマもなさそうな設定なのに、ちっとも淡々としていない。
生々しいというのとも違う。でも、すごく「リアル」だ。
平々凡々とした日常を、予期せぬ出来事で崩された人々が、
それを取り戻そうとするために、どれだけ残酷になるか。
「トモダチ」ですら、彼(エス)を案じているかのように語りながら、自分のことばかり
考えている。
監督は、それを責めない。
赦すでも、冷笑するでもなく、「そのようなものとして(as it is)」描きだす。
映画を観る、あなたの写し鏡として。
根本卓也(音楽家)